「<パクリ>をめぐる論考〜1980年代以降の日本のポピュラーミュージックにおける
この「パロディ」における決定的な「アイロニックな差異」とは、PUFFYが「自作自演」を行う「ミュージシャン」ではなく、プロデューサーがつくった楽曲を(しかもシャレで作られた歌詞で)歌う「アイドル歌手」である点にある。この曲において、ヴォーカル以外の楽曲が「ビートルズそのままの模倣」であることがその「差異」を逆に強調するのである。その差異は「かつてアイドルだった4人」であるビートルズの、現在における過度の「神話化」「物語化」を俯瞰し、皮肉な距離でもってそれを見つめる作編曲者奥田民生の視線を想起させる。更に、その「アイドル」による「あからさまな模倣」は、姑息に細部においてビートルズの意匠を借り続ける数々の「アーティスト」に対するアンチテーゼとしても働く。「あからさまな模倣」は「姑息な引用・模倣」を嘲笑し、皮肉な距離をもってそれを見つめるのだ。(中略)
パロディ的な視線の他に楽曲から流れてくるのは、作編曲者、そして演奏者のビートルズに対する偏愛ぶりである。彼らは、偏愛はするが、「神話化」は決してしようとしない。結果、彼らが行うのはビートルズの物語を奉る聴衆を「ビートルズ」の作った「音そのもの」に返す作業とでも言うべきものなのである。例えば「<これが私の生きる道>にビートルズがいくつ詰っているか、当てっこするのはゲームとして楽しいものです。」と佐藤良明は述べているが、(中略)このような「引用的探索」に聴き手の多くを誘っていることが、「パロディ」としての《これが私の生きる道》の最大の効果とも言えるだろう。(後略)
パクリの研究(2003年)」(III-4より引用)
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