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資料:ビートルズ「マジカル・ヒストリー・ツアー!」

手書き地図を作り → ビートルズの歴史を読みながら、彼らが行ったところにをつけた
 マジカルでもなんでもない、たったそれだけの1頁です(アホや ^^; )

「リバプールの人気者」から「世界のスター」になっていった、
「ビートルズのヒストリー」に沿って、彼らと一緒に地図上を旅してみましょう。

 ♪ろらぁ〜〜〜〜っ♪

(お断り):地図はものすごくテキトー、印の位置・個数も厳密ではありません(^^;)。
      あくまでも
イメージ、で ご覧ください。詳細を知りたい方は頁末の参考資料が、おススメです。

      
各年【アルバムの動向】は、いずれも英国本国スケジュール
      
データ、いろいろざっと数えたんだけど資料によって違うし、正確ではないです


1961年 1962年 1963年 1964年 1965年 1966年 1967年 1968年 1969年 1970年
デビュー前 デビュー! 英国
フィーバー
世界ツアー HELP! ツアー終焉 Rec.三昧 インド&
個人活動
最後づくし → 解散


参考資料集


1961年
デビュー前年

(グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国、の地図でございます)

<解説>

 丸3か月強、約97日に及ぶすさまじいハンブルグ巡業(地図省略)以外は、地元リバプール近辺でのライブがほとんど。オフ日は年たったの77日

 かの有名な
キャバーン・クラブで演奏し始めたのもこの年。

 マネージャー、
ブライアン・エプスタインが「ビートルズ」に出会ったのも、まだ「ハリケーンズ」所属だったリンゴが、テキサスへの移住を断念した?! といわれるのも、この年です。


上記枠の拡大図は こちら
1957〜59年1960年の地図は、別頁に置きました。ご参考までに…



1962年
ライブ巡業 & デビュー!

<解説−ちょっとデータで見てみましょう

 ライブ・移動・レコーディングなどの記録のないオフと考えられる日は年間わずかに48日! 月平均4日しか休日がなかったんですね〜。休日が1日しかない月も! まさに怒濤のスケジュール。左図のように国内での移動距離も大きくなっているから、移動にも随分時間が取られていたことでしょう(ロンドン−リバプール間で特急約2時間半、新幹線でいうと東京−京都間に相当。機材があるから車移動だったでしょうけど…)

●この年、ステージ演奏は
291日。内訳は
  
ハンブルグ巡業ライブ(地図省略)77日
  
左図英国内ライブ…214日282回ライブ
    
キャバーン・クラブ出演
       …昼の部・夜の部合わせて165回
    
└ キャバーン・クラブ以外のライブハウス
   
     46か所で計117回のライブ演奏

 これではピンとこないから…<cf.>週休二日・夏冬休暇各1週間前後の会社員がコヨミ通り働いて約240日。プラス、休日出勤50日、残りの日で移動と曲作りとレコーディング…って感じ。比べようがないけども。

 …ハンブルグで「1日7時間『ビートルズ』きたやまおさむ著、講談社現代新書)」ぶっ続けの、ベラボーな回数のライブをこなしていたのは有名ですが、地元リバプールでも多いときは1日3回のライブステージをこなしていたようです。よく言われることだけど、のちに「ライブをしないミュージシャン」の先駆けともなったビートルズが、「初期はバリバリのライブバンドだった」ということが、しみじみ実感できます。

この年、1月1日・伝説のデッカ・オーディション(不合格)に始まり、7月にEMIと契約
(=
ジョージ・マーティンとの出会い)、9月レコーディング、10月デビューの運びとなります。
この間、元メンバーのスチュワート・サトクリフの死、ドラマー・ピート・ベストの解雇、
そして我らが
リンゴの加入もありました。

【アルバムの動向】
デビューアルバム・シングル用の曲の録音を4日間だけ実施(翌年の「伝説の1日録音」でアルバム完成)




1963年
英国内で大ブレイク!


…なんか、全身に広がっていくハシカみたい(^^;)

<解説>

 この年、ステージに立ったのは259回?!(オフの休日も数えちゃってる可能性もあるけど、それもせいぜい10日前後かと…) 合い間を縫ってテレビ・ラジオ出演・インタビュー収録等72 

 2月にキャバーン・クラブ出演を「卒業」し、ヘレン・シャピロ(英国の少女歌手)および あのロイ・オービソン
ツアーに同行するも、途中でビートルズがメインに
 この年はもっぱら国内営業(?)、ワールドツアーは翌年から。

【アルバムの動向】
『PLEASE PLEASE ME』
レコーディング終了の翌月(3月)リリース。
7月録音開始の
『WITH THE BEATLES』
11月にリリース。





1964年
米上陸、世界中で大ブレイク!



この年、ステージに立ったのは約122回、テレビ・ラジオ出演・インタビュー収録等が約39件
映画「A HARD DAY'S NIGHT」撮影には、3月2日〜4月24日間の41日を費やした。

いわば全世界への売り出し期間とも言えるこの年、ワールドツアー演奏地。
米大陸ツアーが、2月と8〜11月の2回。オセアニア・香港へも。
オレンジがプライベート。休暇でタヒチに行ったり、
ツアー移動で
シンガポールに寄ったり、前年と行動範囲がまるで違う!
でも
映画は、まだ国内撮影で済ませておられます。

【アルバムの動向】
年内に
『A HARD DAY'S NIGHT』『BEATLES FOR SALE』を録音&リリース



1965年
ツアーレコーディング映画!



この年ステージに立ったのは約58回、テレビ・ラジオ出演・インタビュー収録等が約16件
映画『HELP!』撮影63日を費やした(海外ロケ!)。

オレンジがプライベート。1月中旬から2月中旬、7月・9月などに月単位の休暇を
(上図では行き先を全部押さえてはいないのですが)。
その後『HELP!』撮影・レコーディングを経て
フランス、イタリア、スペイン公演
8月には米国公演、12月の英国公演。この年のツアー、米国と欧州に集中していた模様。

【アルバムの動向】
『HELP!』『RUBBER SOUL』録音&リリース





1966年
ツアー晩年、レコーディング時代へ突入



この年ステージに立ったのは約22回
テレビ・ラジオ出演・インタビュー収録等が
約8件。レコーディング関連日数は約46日

年初から3か月の休暇を取ったのちレコーディング、そして来日 
ドイツ公演直後6月27日に発ち、乗り継ぎ乗り継ぎ。台風のため
アンカレジで足止め。
到着は日本時間の6月29日午前3時40分? 6月30日〜7月2日に「あの」日本公演。
フィリピン(昼食会欠席反発)・米(キリスト発言反発)・カナダ公演など各地でのさまざまな受難を経て
ツアー時代終焉。ツアー終了を告げられてマネージャー・エプスタインはショックを受けたと言われる。

この年から地図に
インドが登場、ジョージが足かけ2か月滞在。
休暇にしろ映画撮影(ジョン「僕の戦争」)にしろ、
個々の移動が多くなってきた。
アフリカに行っているのは前年もこの年もポール。
リフレッシュして11月下旬、5か月ぶりのレコーディング再開。ここからいわゆる「
レコーディング時代」に。

【アルバムの動向】
『REVOLVER』録音&リリース
『SGT.PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND』録音開始
「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」録音も、この時期



1967年
レコーディングマジカル・ミステリー・ツアー



ツアーをやめたので、どうです、この閑散とした世界地図
赤い印はビートルズとしてのお仕事・レコーディングと
ユニセフのイベント出席(ジョン&ジョージ)ってことで。
映画撮影は『マジカル…』と、リンゴ単独出演の『キャンディ』。

ぽつんと点いた
ロス。4月の米滞在中、ポールが「マジカル・ミステリー・ツアー」の構想を思いつき、
ジョージは8月
「ブルー・ジェイ・ウェイ」ストリート? に家を借りて曲を作ったのでした。
「ビートルズギリシャ移住計画」? 全員で島を物色しに行ってたとは知らなかった。

このころ、ヒゲをたくわえたりして貫禄ある映像が残っているけど、
最年長の
リンゴでもまだ27歳、最年少のジョージなんか若干24歳だったのですよ(今のすまっぷより若い!)。
この年8月、
マネージャー・エプスタインを失ったのがきっかけで、その若さながら
ビートルズは「
アイドル」から「実業家」的方向、セルフプロデュース集団になっていった感があります。
各種エピソードを読むと、あんましミュージシャンっぽくない…。

【アルバムの動向】
『SGT.PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND』録音&リリース、
『SGT.…』が完成した
4日後には『MAGICAL MYSTERY TOUR』録音開始、年内リリース! 
並行して
『YELLOW SUBMARINE』新曲録音(発売は69年1月)…あふれるレコーディング意欲!



1968年
インド、ヨーコ、リンダホワイトアルバム



全員でインドへ、しばらく滞在。ジョンとポールは米国アップル社設立のためN.Y.へ。
ジョージとリンゴが
カンヌ米西海岸へ(仲いいのね)、ジョージ&パティがギリシャ
ポールが
ロスポルトガルへ。そんな感じ。あ、ジョージ、他人のプロデュースで再渡米

仕事でのお出かけ箇所は少ない代わりに、プライベートがゴタゴタした印象の年です。
ジョンがヨーコと出会ってシンシアと離婚、
ポールがジェーンと別れてリンダと行動をともにするようになり、
麻薬所持の疑いで逮捕されるメンバーも出たり…。

【アルバムの動向】
『THE BEATLES』録音&リリース、『LET IT BE』『ABBEY ROAD』収録曲も書かれつつあり。
前年のジョンの映画主題歌リリースに続き、ジョージの映画サントラ、
ポールの(他ミュージシャン)プロデュース作品等、
個別プロデュースのラッシュ!



1969年
アップル屋上ライブ「4人最後」



ライブで遠征しているのはジョージ。ただしビートルズにあらず、
デラニー&ボニー&フレンズのライブに同行。ライブそのものがイヤになっていた、のではなく
「ビートルズ」としての活動では「演奏」が楽しめない状況になっていた…ことが想像できます。
ジョン&ヨーコ結婚、何かとトロントでライブ&平和活動。
休暇でコールフュー
(??)、サーディニア(伊)に出かけた人たちあり
(『ビートルズ ダイアリー』バリー・マイルズ 著による。調べがつかず、地図省略)

1月に、かの有名な「アップル屋上ライブ」が ありはしたものの、
スタジオセッションにせよフォトセッションにせよ、
いろんな活動に「
4人最後」の言葉がつきます。
一方で各メンバー、家族と一緒の項目が大変多い年、でした。

【アルバムの動向】
『LET IT BE』『ABBEY ROAD』をほぼ並行して録音
『LET IT BE』は1月でほぼ終了したけど、7月録音終了の『ABBEY ROAD』が先に9月リリース
8月20日の『ABBEY ROAD』完成試聴が「4人でスタジオに入った最後とか?


 


1970年
解散



前年に続いて各メンバーのソロアルバムが続々リリース。
「ビートルズ」としての作品も世に出はしたものの、この年1月初旬の
オーバーダビング以降、実に
24年間(!)セッションはなく、実質解散状態
地図に印が少ないのは「海外に出かけなかったから」ではなく、
「もはやその行動が『ビートルズ』としては記録されていないから」かも…。さみし。

4月10日には「ビートルズは解散状態」と世界中に報じられ、
ポールとジョージがN.Y.で
ビートルズ解消について話し合ったりしたのち、
12月30日にポールの告訴によって「法的解散」の道に進んだのでした。
ファンになってすぐのころは「なんで、なんで〜? 解散とはもったいない…」と思っていました。
でもすさまじいスケジュールと強い個性、そのバランスの難しさを資料を通して見ているうち、
人間らしい生活を取り戻すためにこれでよかったんだよ、きっと…って気がしてくるのです。

【アルバムの動向】
映画に合わせようと発売が延び延びになっていた
『LET IT BE』が5月に発売
あとは、サントラでもプロデュースでも共同名義でもない、
各メンバー名義のソロアルバムが、ついに4枚リリース。


 


 <参考資料> 順不同

The Complete Beatles Chronicle 1657-1964日本版 ザ・ビートルズ/全記録』
 『同 1665-1970』
(マーク・ルイソン 著、ビートルズ・シネ・クラブ 訳、
  プロデュース・センター出版局発行)
『もっとビートルズ! この一冊でビートルズがわかる』(香月利一著、音楽之友社)
『ビートルズ』(きたやまおさむ著、講談社現代新書、1987年)
『ビートルズ 二〇世紀文化としてのロック』(和久井光司著、講談社選書メチエ、2000年)
『ビートルズ オーラル・ヒストリー 〜関係者の証言で綴る立体ビートルズ史〜
 (デヴィッド・プリチャード/アラン・ライソート著、加藤律子訳、
 
バーンコーポレーション発行、シンコー・ミュージック発売、1999年)
『ビートルズ音楽論 音楽的視点から』(田村和紀夫著、東京書籍、1999年)

『THE BEATLES ANTHOLOGY 1〜3』CDライナーノーツ
 (マーク・ルイソン著、THE BEATLES CLUB翻訳部分より)
『ビートルソングス』(ウィリアム・J・ダウルディング著、奥田祐士訳、ソニーマガジンズ、1992年)
『ビートルズ ダイアリー』(バリー・マイルズ 著、松尾 康治訳、シンコーミュージック発売)
『THE BEATLES FOREVER 20TH ANNIVERSARY OF JAPAN CONCERT('86年版ビートルズ読本)
 (東芝EMI株式会社:非売品、1986年)
「The Official Monthly Magazine The Beatles No.251 1996/4」(THE BEATLES CLUB)


初めてビートルズ本を読む方に         
ある程度エピソードを把握している方に     
=ビートルズのエピソードをより詳しく知りたい方に
=その他、データ資料              



図書館で探して読んだ本が多いのですが、悔しいことにビートルズ公認自伝といわれる
『ザ・ビートルズ』(ハンター・デイビス著)が読めていない。もしかしたら高校時代くらいに
借りて読んでるかもしれないけど…今では地元の図書館にもアマゾンにもない。入手困難書?



2003年夏休みの自由研究課題、終了(笑)。
個人的な話、地理がとても苦手。リアルタイムで体験していないせいもあって、
ビートルズ本を読んでも「どう飛び回っていたのか」いまいちイメージがわかなかったのね。
読みながら地図にしてみてツアー同行気分、
「あぁ、こりゃ、すさまじいわ…ツアーもイヤになるはずだわ…」と改めて実感したのでした。






おしまい